次女の退院、日常生活の取り戻し
次女の熱は20日間近く続き、最後の3日間は島の南端ビクトリアの病院の小児科病棟で入院(検査が主目的)となった。検査を通して今日原因がほぼ明らかになり、またそれと同時に症状も消え、無事帰宅となった。ありふれたウィルスの感染だったが、時々次女のように長期化することがあるのだそうだ。がんでも自己免疫疾患でも無く、感染症も収まって今後に影響も無いということのようなので、結果的には大騒ぎする必要は無かったといえるのだろう。
日本でも同じことだったのかも知れないが、今回医療機関で受けた対応には恐れ入ってしまった。次女一人の為にこんなリソースを次々と割いてもらってしまっていいのだろうかと。対応をして下さった医師だけをとっても、ファミリードクターから始まり、複数の小児科医、感染症専門医、心臓内科医、放射線科医が現れた。小児科のベッドだって、明らかにもっと重篤な症状の子ども達も見かけたから、次女に3日間も与えられて良いものなのかとまどった。明らかにカナダらしいなと思ったのは、先生方は親の意向などお構いなく自分達の判断、都合でどんどん方針を決めてゆくのだなということだ。治療費の患者負担分が無いから成り立っている動き方なのだろうと思う。また、カナダでは日常生活でも一般社会が子どもにかけるリソース・配慮が、日本で生まれ育った私には甘やかしに見えるくらい手厚いから、そういったことが医療にも反映しているのかも知れない(日本でも少子化の今は同じなのかも知れないが)。
ここ数日は熱波も重なっていたから、ビクトリアから疲れ切って帰って来て、ベッドに倒れ込んで3時間も深く眠ってしまった。そして夕方起き上がって、少しづつ家の周りの見回りから動き出した。いろいろ片づけなければいけないことが溜まっている。
畑では、鹿に破られたネットが放置され、野菜が食べられ放題になってしまっていた。取り敢えずネットを修復し、鹿よけスプレーをまいた。本格的な対応を考えるのはまた今度あらためてだ。
薪作りは途中まで進めて中断したままだが、近所から見える場所に放置されっ放しの丸太を見かねて、お隣のスミスさんが訪ねてくださった。「明日からトラックと薪割り機を貸してあげるから、頑張りなさい」と助け船を出して元気づけて下さった。もうカナダのこの地に引っ越して来て9年目だが、今でもいろんな人にお世話になりっぱなしだ。
熱波と渇きで、畑のベリーも野生のベリーもかなり水分が少なくなって乾いた実が増えてきている。体を癒す為に食べたかったので、時間の有る範囲で収穫をした。今年は野生のオレゴングレープとサラールベリーが良く実っていて、一度ジャムにしてみようと思っていたが、今日見ると実が乾いてしまったのが増えてきている。急ぎいくらか収穫してジャムづくりを試してみなくちゃ。
一歳の誕生日のテテ。相変わらずの食いしん坊で、庭の野生のベリーを食べるのが大好き。何度もクマを家族から遠ざけてくれてありがとう。まだ一歳にもならないうちから大活躍してきてくれたね。 pic.twitter.com/sYAUmmb6zk
— Hiroshi Yamamoto (@goldenpyrenees) 2020年7月31日
庭の花壇の水やりも何とか継続はしていたが、熱波と手抜きが重なっていたので、ダメージはあちこちに見られる。今日は夜まで多めに時間を取った。
夕食のカボチャの冷たいポタージュスープと、鹿の食べ残しの野菜サラダで、疲れを癒した。次女はすっかり食欲も復活していて、今夜は家族の中で一番元気なくらいだ。
長女に感染症がうつらないように、この20日間、ベースメントのゲストルームで寝させていた。半分地中の岩の中に埋もれていて、とても涼しい場所だ。今日からは長女に2階の寝室に戻ってもらい、ゲストルームは大人が使えるようにした。涼しい夜が過ごせそうだ。(ゲストルームはここへやって来て2年目くらいに、多大な時間を費やして私と妻とで作った。記録写真を残しておかなくちゃと前から思っていたので、今日撮ってきたのを下に貼り付ける。今年は訪問客が無いから、倉庫状態になっている。)
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