自由な伝統工芸家の他界、デッキから見える庭
私の妻はもともと世界でも参加人数が少ないニッチな分野の現代美術家だ。通常大都市で無いと発表機会とかコラボレーターは見つからないようだ。でも、バンクーバー島の田舎に引っ越す私の提案を飲んだ(カナダに移住することに私が同意したのと交換条件のようなところがあった)あと、どうやってそこで生きてゆくかいろいろ考えた。
日本の伝統工芸を教えれば、現地でのニーズに合うのではないかというのが一つのアイデアだった。でも、伝統工芸は、型が決まっていて、なかなか妻としては入りやすいものではなかった。
そんな時に出会ったのが、妻のその世界の先生となった染色家だった。先生は、高名な染色家ではあったが、型にこだわらず、自由で、生徒の個性を殺さない方だった。生徒の習い方にもこだわらず、基本をマスターしないと次のステップには進めませんなどとは言わない方だった。そして同時に、アーティストとして優れたセンスと経験を持っていた。妻はカナダに引っ越す前に、2年間集中して、先生の指導を受けた。
カナダに移住後、妻は自分でも染色を教えたが、ある時、先生がカナダで教える機会を設けたら、地元の人達はすごく喜んでくれるだろうと気づいた。日本の伝統工芸のマスターから習う機会に、地元のアーティストグループが目を輝かせて協力を申し出たのだ。
先生は、日本の外へ出たことが無かったのだが、喜んで教えに来てくださった。一週間みっちりのワークショップに参加したのには、地元を代表するようなアーティストの方々も多かったし、日本に親族や友人がいて、日本の伝統を学びたいと考える方もいらっしゃった。
私も、このワークショップが大変な成功だったのを目の当たりにした。自然の中にあるものをデザインに昇華させるプロセスに感心された方が多かったように見えた。また、80代の先生の彫り・染めの手つきに感心した人も多かった。参加者も多くがリタイアされた年齢だったので、勇気をもらった様子があった。2年後に2回目にカナダにいらしたとき、初回の参加者の多数が2回目のワークショップにも参加した。
私にとって一番強い印象として残ったのは、先生の柔軟性と観察力だった。カナダに来る前に、ワークショップの内容を妻と協議しながら決めていったのだが、「先生、そんな初日の内容じゃカナダの人は退屈しちゃいますよ」みたいなずけずけしたことを言われても、そうですか、と受け容れ、どんどんカナダの人に会うだろうワークショップ内容に仕立てていった。
ワークショップが始まると、日中全てのことを参加者に伝えることが出来ないため、夜遅くまで、一人一人のデザインや途中経過につき、伝えたいアドバイスを妻と一緒にまとめ、メモにした。一人一人の個性をよく見ていた。
そんな先生だが、先月、入院中の病院で亡くなった。こちらへいらっしゃったときには、観察力も記憶力も素晴らしく、背筋がぴんと伸びて、しっかりした手つきだったのだが、残念だ。ご冥福をお祈り致します。
ところで、2回目のワークショップだが、会場は私達の家だった。1回目のときに使ったグロリアさんの大きなアートスタジオは、グロリアさんがダウンサイジングされていたため、使えなかったのだ。うちは普通の小さな家なのだが、メインフロアを全て使う形で何とかした。
私はワークショップ中、お昼ご飯を用意する役だった。毎日15人がうちのデッキで先生を囲んでお昼ご飯を食べたのだ。至らない食事だったが、皆さん、本当にサポーティブで、楽しんで下さったと思う。
でも、デッキから目の下に見える家の裏は、荒地と乱雑な林縁と味気の無い駐車場だった。まだ、庭といえるものは、家の前の3本の桜と石積み以外どこにもなかった頃だった。でも、庭造りをしようという姿は見えたのだろう。ワークショップ参加者のジュディなど、その後いつも植物を下さったり、庭造りのアドバイスを下さるようになった。
その後何年かして、今デッキから下を見ると、3つの方向とも私には気持ち良さげに見える庭になっている。何年かの間に割いた労働と植物の成長が反映されている。今日、デッキから下を見ながら、妻の先生のことやワークショップのお昼ご飯のことを思い出した。
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