家の表の、ゴボウ畑のさらに奥に、果樹を3本追加した。これで、マルベリーが2種、イチジクが2本、ブラックチェリーが3種、サワーチェリー1本、ヤマボウシ1本と、ある程度まとまった数の果樹が植わった。それに、ゴボウ畑といくつかのカマスベッドが合わさった小さな生産エリアになってきた。
うちの生産エリアは、バラバラに散っている。
家の表には、このゴボウ畑周辺と、もう一つニラとカマスの畑がまとまった場所が生まれてきている。
家の表以外では、下の砂利道沿いにあるガーデンには車でもアクセスできる(池を伝っても降りられるが)。ここでは、フキ、ミョウガ、カマスと果樹が育っている。
それ以外の生産エリアは、小径を歩くしかアクセス手段がない。家の裏へ歩くと最初にメインの野菜畑があり、果樹もまとまって植わっている。さらに細い道をゆくと、一番上の池の近くにラズベリー畑と果樹があり、さらに歩いたところで、隣家近くにもクルミの木やリンゴの木がある。
こんなバラバラで、芝刈り機も耕運機もアクセスできないような非効率な生産の場は、効率重視の北米では相当変わったデザインだろう。しかし、私としては、できるだけ重機で土を動かさず、既存の水の動きを変えず(溜めはするが)、また木を倒さずという方針でやっていたら自然にこうなった。
また、私の好きな風景がこうだったのだ。子どものころ夏休みと正月に必ず訪れた母方の祖父母の家は、奥三河の山寺で、その庭や畑は本当に楽しかった。大きなイチョウの木が2本生えた石垣の上から見下ろすと、谷へ向かう石畳の両脇に梅林や畑が見えた。さらに沢の方向へ降りてゆくと途中にあったのはモミジやお茶畑だったと思う。.逆に、栗の木やシイタケの原木はかなり坂を上ったところにあった。
知多半島の自分が育った家も、裏山へ登ると、そこは整地されていない農家の所有地だった。木や竹藪に囲まれた、歩いてしか行けない猫の額ほどの平らな場所が畑として耕作されていた。小さな池の脇の小さなスペースにも、イネが植えられていた。近所の子ども達がいつも遊び場所にしていたが、叱られたことはなかった(畑や田んぼには踏み入らなかったと思う)。
カナダにやってきて、数年間野良作業を続け、今子どもの頃好きだった日本の風景に出会い始めている気がして、感慨深い。